曖昧な未来 / けいこ
2006年09月26日
黒澤清監督の「アカルイミライ」のDVDを(いまさら)購入したので 観ていました。
好き過ぎます。すさまじいです。
映画を観ているときは いつも、登場人物のやりとりを追いながら無意識に
「つぎにこんな台詞がきたらいいな」「こんな受け答えをしたらどうしよう」と
シミュレーションしてどきどきしてしまうことが多いのですが、
この映画は、わたしごときの「こんな答えがでたらいいな」という夢を
かるくとびこえる答えばかりが次々に出てきて、むしろそれしか出てこなくて、
そのつど ただただ 驚いて 揺さぶられました。
頭にやきつく仕草や景色や言葉が多過ぎて、
シャワーを浴びながら ごはんをたべながら 全部ぐるぐる反芻して、
今は 頭の中で すでに5回ぐらいこの映画を観かえしたような感じです。
ここでわたしの死生観を語ってもしかたのないことだと思うのだけど
そして 言葉を尽くしても敵わないものばかりをいま見ているのだけど、
最終的に辿りつくところはいつもごくシンプルで、
わたしは ひとりではない ひととひと が いとしいです。
綺麗じゃなくていいし 神様じゃないから足掻いて泥塗れ涙ぐちゃぐちゃだから
だからすきです。
ディスコミュニケーションは常に消えることもなく救われることもないはずなのだけど、
で わたしは そこで諦める癖しか持ってないのですけども、
こうしたかたちで その惰性の諦念をさっくり跳び越されると、
もう 泣くことしかできません。
あの黒澤監督がまさか、あえて こういう映画をつくっていたなんて!
(ほかの監督だったらここまで意外ではないかもしれない) と
そこに関しても びっくりしてうれしくて揺さぶられるのです。




